立冬が過ぎましたね。いよいよ寒さも本格的になるのでしょうか。
「夜明けのレッスン・前世療法編」も、いよいよPart.4です。
前回の記事はこちら。
夜明けのレッスン(4)前世療法 Part.3『子供時代のトラウマ』 [2008/11/06 01:26]
私の20歳の頃から始まったパニックになるような恐怖性は、大学時代の恋人と付き合い始めて間もなく始まったものでした。
大切な人と離れる時の異常なまでの恐怖感の原因は、大学時代のにあるのではないか?ということで、3回目のセッションは、大学時代の恋人との当時の関係とその後をみていく退行催眠でした。
2001.10.15 3回目の催眠療法セッション
(日記なし)
この時の退行催眠は、苦しいものでした。
毎回セッション後に覚え書きを残していたのに、3回目だけ記録がありません。
それまで、セッションを受けて自分の中で整理をしながら状態が良くなっていくのを実感していたのですが、急に出てきた重い感情に、かなり戸惑っていたのを覚えています。
しかしそれは、本当に大きな問題の解決に向かう変化の前ぶれだったのです。
『2001.10.16のメール 件名:ごめんなさい
結構、やばい感じです。
今までのように泣いたリとか、絶望したりとかとは全然違うのですが。
何か、自分の人生で大きな問題に、改めて直視させられたようです。
おそらく、これを避けては通れない、そんな感じです。
また、これは現世でのトラウマではなさそうな感があります。
まだ解らないのですが。
もしかしたら子供の時に、忘れている何かがあるかもしれないです。
現在のこの重い気分も、漢方でいう好転反応が精神的に現われていると
良いのですが。
鬱とは全然違うので、好転反応だと捉えたいとも思っています。
まだ、整理するのに時間が必要です。
そして整理するのに、誰かの手助けが必要なのも事実です。
こんなとき、どういう風にあなたと接したらよいのでしょう。
好転しない限り、あなたとは話す事も出来ないのでしょうか。』
ここからは、大学時代の回想です。
20歳の頃付き合い始めた大学時代の恋人は、未来のビジョンを共有出来る人でした。
付き合う前は、彼を取り巻く女性たちとカナダで恋愛のゴタゴタにも巻き込まれたりもしましたが・苦笑
非常に共通する人生の目的を持っていることを知って付き合い始めてすぐ、将来は結婚しようと誓い合っていました。
直感的に彼は運命の人だと感じ、そしてその頃の私は、"運命の人は人生に1人しかいない"と信じていました。
最初で最後の1人に出会えることが、一番の喜びだと思っていました。
しかし、私の"大切な人が居なくなってしまう恐怖"は、彼を長い間苦しめることになります。
電話を切ると何かあるのではないかと怖くて切れない。
「とにかく切らないで!」と、一晩中電話を持ったまま寝たこともしばしば。
会ったら別れるのが一時的だと分かっていても、とにかく怖い。
どうしたら私が安心出来るのか、彼は相当苦心していました。
しかし彼が何をしてくれても、私は真の安心を得ることが出来ませんでした。
精神科医を目指していた彼は、出来る限りの知識で、私のトラウマ探しもしてくれましたが、結果は得られませんでした。
大学3年生の時、日本トルコ学生会議の実行委員会をしていた二人は、一夏トルコで学生会議開催の為に過ごしました。
その時私は、自分でもどうしようもないくらいその恐怖症に振り回されました。
付き合う前のカナダでのことが、トラウマになっているのかしら・・・?と当時は思ったりもしました(実際は違ったのですが)。
その後、ことあるごとにカナダでのことで彼を責めたり、相手を信じたいのに信じられない自分の中のジレンマをどうすることも出来ず、一番大切な人を、一番傷つけてしまうことに耐えられず。
大学4年生の時に、自分からもう離れるしかない・・・と別れる結論を出しました。
全ては自分のせいでした。
彼の両親やご家族も、私の家族も、二人の付き合いを見守り、そして近い将来結婚することを、本当に楽しみにしてくれていました。
彼と家族のことも含め、長い間自分を許せなくなる出来事でした。
自分の選択にはいつも自信のあった私が、生まれて初めて、自分の選択を自ら破った出来事でした。
自分を信じられなくなりました。
そして、たった1人の運命の人と別れた自分は、もうそういう人とは巡り合えないんだと思ってしまったのです。
大学卒業後、社会人になった私を待っていたのは「共依存」の関係。
それはまた、後のレッスンで書いていきます。
以下のメールは、3回目のセッションを振り返りながら、気持ちが整理できて来た時のものです。
『2001.10.17のメール件名:自信
自分にとって、大学時代の経験は、自分を信用できなくなる出来事でし
た。自分が幸せになることにも、自信がなくなりました。
自分の本気の決断を、自ら諦めてしまい、自分の弱さ、責任感のなさ、
それはその後の恋愛問題に大きく影を落としてきています。
もうずっと、前向きに恋愛が出来なくなっています。
友人のとても心温まる結婚祝いパーティに出席して、自分が諦めていた
結婚の夢を思い出しました。
まったく自分が幸せな結婚をするイメージが、もうかなり長い間
(社会人になってからずっと)描けないでいました。
式を挙げる、ということも、かなり否定的でした。
自分が祝福されるなんて、そんな資格はないと、想像も出来なかった
のです。
でも両親に、楽しそうに自分がどんな式を挙げたいか、大学のチャペル
で式を挙げる権利を持っている事がどんなに嬉しいか(本当にアットホー
ムで地味ながら温かいのです)、何故かとても楽しそうに日曜日の夕食
の時に語っていました。
今まで恋愛に関しても非常に絶望していた日々だったけれど、最近は
少しずつ回復し、いつか良い恋愛が出来るような、そんな気分でいる事
も、正直に話せました。
今も、決して絶望の涙ではないのです。
ただ、これを乗り越えないといけない、辛く苦しいけど、直視していか
ないと、自分が本当に求めているものは手に入らないのです。
本当に、自分を信じられなくなった出来事も、3回目のセッションで、
もう少し違った見方が出来るようになりつつあります。
大学時代の恋愛は、本当にお互いできる限りの事をした結果だった、
と思いました。
そして、トルコにいた時に辛かった気持ちは、カナダでの事があったの
とは違う(きっかけにはなったけど)、別の自分の中のもっと昔からあ
る問題に拠る事も判ってきました。
でもそれが、その数年後に大学時代の彼と彼の今の奥さん(トルコ人)を
結びつける一つのきっかけにもなったのだから、運命って不思議な
ものです。
マイナスにばかり働いていた要因も、もう少し時間を掛ければ、プラス
に転じると思います。ただただ、自分にとっては失ったものが余りにも
大きかった出来事であり、長い間前進できずにいました。
長い間、忘れようとする余り、無意識の層にマイナス要因を押し込めて
しまっていたようです。
本当に、自分の人生を大きく左右する問題です。
これを乗り越えないと、自分の本当の意味での前向きな人生は有り得な
い。
そして"3人目の運命の人"にも、出会っても気付けない、そんな思い
でいます。』
"Forgiveness(許すこと)"
退行催眠では、大学時代の彼との関係を客観的にみた後に、現在の彼と彼のトルコ人の奥さんのビジョンが出てきました。
その彼に向かって声を掛け、そしてメッセージを貰うことで、本当にお互いできる限りの事をした結果だったと、やっと私はお互いを許すことが出来ました。
"3人目の運命の人"
占い師の友人が「寛子ちゃんには、運命の人が3人居るよ!」
と、占ってくれたことがありました。
運命の人は"人生に1人しか居ない"と思い込んでいた私が、その枠を外す大きなきっかけになる一言でした。
その時の私は、ひどい「共依存」の関係だった人と別れることが出来た後。
運命を感じる人が近くに居て、しかしパートナーになれない相手であることを悩んでいました。(催眠療法を受けるきっかけになった悩み)
その友達は、そんな事情を全く知りませんでしたが、その一言で私は大きく救われました。
そして、3人目の運命の人・潤治に出会うまでの、長い長い旅がそこから始まったのです。
『2001.10.22の日記
最初は、自分を許すこと。様々な本に、そういうことが書いてあるけど。
自分を許せない人は、人も許せなくなってしまうの。
自分自身、大学3,4年の時から自分のことを許せなくなってから、
人間関係がおかしくなってきたような気がする。
そして、前回のセッションで判ったことは、お互いを許すことだった。
そうして始めて、自分の前向きな人生になるのだと思う。
自分を受け入れられない人は、どんなに望んでも他人を受け入れることが
出来ないのです。
少しずつ、自信を回復していこうと、思う。』
「夜明けのレッスン」
続きは一旦「前世療法」を離れ、過去に遡ります。
夜明けのレッスン(6)「暗闇の前兆」に続く