いのちをたべるの続きを、書かせていただきます。
みなさんからいろいろな感想をいただき、次も書こうという勇気になります。ありがとうございます。
それでは今日は、ニワトリ捜索の続きから・・・
庭や建物の下などを逃げ回ったニワトリ。しばらくみんなで追い掛けていました。そしてもう、建物の下で籠城か?と思いましたが、最終的には犬に追い立てられ、ちゃんと自ら鶏舎に戻ってきました。
そしていよいよ、鶏を絞めるために、今日のために選ばれた2羽を・・・
手渡された針金を使って、鶏の足を縛って固定します。
(←写真左:私は足を縛る役に。)
この子(黒と白の縞)は、最初から逃げずに鶏舎に戻ってきていた鶏です。捕まえて足を縛る時も、全く抵抗せずおとなしくしています。
横斑プリマスロック(ブリモース、碁石とも呼ばれる卵肉兼用)という種類ですが、2羽を区別するのにこちらはプリマちゃんと呼びましょう。プリマちゃんは全く逃げることなく落ち着いていて、自分自身の運命を受け入れているようです。
あとで聞いてわかったのですが、プリマちゃんはまだ若い雌鶏で1歳未満でした。
一方、心の準備が出来ず逃げ回っていた褐色鶏(採卵用の種類)は、捕まえる時も少し暴れ、足を縛る時もやや抵抗気味でした。こちらはレッドちゃんと呼びましょう。
私は気付くと無意識に、レッドちゃんに手を当てていました。ヒーリングになったのかしら・・・。(写真右→)
レッドちゃんは、卵を産み続けてきてくれた3歳の雌鶏でした。
すんなり運命を受け入れているプリマちゃんと、「生への執着」から逃げたり抵抗したりするレッドちゃん。二羽はとても対照的でした。 準備が出来ると、絞めるために2羽はそれぞれ足を固定されたまま、木に吊るされます。
プリマちゃんは吊るされても全くの無抵抗で力も抜けていましたが、レッドちゃんはまだかなり緊張してこわばっています。
少しでも緊張が取れないかと、やさしく?語りかける私。(写真上) 果たして、私の想いは通じたんだろうか・・・。
さかさまに吊るすのは、「放血」のため。
身体から血を抜くことは、牛でも豚でも鶏でも美味しくいただくために必要ですが、生きて心臓が動いている間でなければ出来ないのです。
ここで、苦しまないように首の頸動脈を切り、そのまま心臓が動いている間に血が流れるに任せて血抜きをします。
無抵抗のプリマちゃんは、Tさんが担当。
Tさんは、まるで遺伝子がこうやってきた人類の歴史を覚えていたがごとく、頸動脈をみつけると的確にそこにナイフを入れていました。
ご本人も、遺伝子の記憶かか前世の記憶か・・・そんなことを感じられていたそうです。
(写真左:頸動脈を切る直前)
この写真奥、レッドちゃんはHさんが担当。
Tさんと対照的に、Hさんは切ることをとてもためらい、なかなか頸動脈を切ることが出来ないでいます・・・このことをあとで振り返ったHさんの話は、ためらいながらナイフを入れると、弾力のある頸動脈が逃げるので、関係ないところを切ってしまう・・・とのことで、苦しませてしまったのでは、と悔やまれていました。
先日紹介した「いのちの食べかた」という本にも、家畜を殺す屠畜の鉄則が書いてありました。
1.なるべく苦痛を与えない。
2.放血(身体から血を抜くこと)は、生きているうちにやる。
なるべく苦痛を与えない、この大切さを実感します。すぐに頸動脈を切れなかったHさんの話に、納得するのでした。
それ以外にも、鶏ならば大したことがないですが、牛や豚が苦痛で暴れたりしたら、けが人が出たり大変なことになります。
また、4つ足動物の屠殺時の苦痛や恐怖を感じた時に出るホルモンも、人体に悪影響だったり攻撃的な感情に影響したりするそうです。
頸動脈にナイフが入った直後の画像は、子供向け番組の放送コードに準じて流血シーンカットで。
そして、「放血」が終わり2羽が息を引き取るまで、私たちは祈りに似た厳かな空気の中にいたのでした。
(その4に続く)