最近、mixi や Facebook などで昔の友人や恋人と連絡がとれるようになったという話をよく聞きます。AQUAMIXT にも昔の友人がワークショップに参加するなんてことが起きています。自分の過去を知っている人が、今、自分の前に姿を現すという出来事は、嬉しくもあり、複雑な感情もあります。
過去の自分を振り返るのが疎ましいという感情です。
過去の友人は、過去の自分自身を連れてきます…。
過去の自分と今の自分が対峙することになります。
以前、メンターにこんなことを言われました。
「過去の自分、人間関係を否定するよりも、水本君は過去の自分に感謝はしている?その自分や周りの環境がなかったら、今のあなたはいないのだから…。過去を否定することで、今の自分を肯定するような生き方は苦しいからね。どんな過去も受け入れて、感謝するのよッ。」
昔の自分を連れてきてくれる友人や恋人に感謝できるだろうか…。
これから、そんな機会が増えるかもしれません。
過去に感謝し、未来を予感し、今を楽しんで生きる…
少しずつでもいいから、そんな自分でありたいと思います。
10年前の自分が、今の自分の姿を見て、どう思うか?
そんな質問も面白いですね…。
そのメンターはこんなことも教えてくれました。
“過去を否定して仕事をしている時はうまくいかなかったが、
過去に感謝して仕事をするようになったら、うまくいくようになった。”
あまりにも受け入れがたい過去があると、
その過去が自分を作っているということが疎ましく思えることもあるかもしれません。
過去のトラウマや苦い経験が、今の自分を制約していることも事実です。
それまでの自分の物語を切り取って、
新しい物語を作ることもできるかもしれません。
リセットして、新しく生きることも。
しかし、もし、人生を大きなジグソーパズルだとすると、
そこにある全てのピースは必ずどこかに当てはまり、
人生という名の大きな絵を完成させるために必要なピースだということになります。
受け入れがたいピースも、忘れてしまいたいピースも、
一見、今の自分には必要がないように思えるピースも、
その人生の絵を完成させるのに、必要不可欠なものだと感じます。
どのピースにも無駄がないように、
過去の出逢いや経験に、ひとつたりとも無駄なものはありません。
かっこ悪い自分だった、情けない自分だった…
悲しい別れだった、痛みを伴う別れだった…
そんな忘れたいかもしれない過去も、
あの頃の自分を認めてあげたい…
ひとつひとつの出逢いが大切なものだった…
それがわかるのに数年、数十年かかることもあるかもしれませんが、
どの場所に埋まるピースか見届けたいと思うのでした。
「過去を切り離すか、感謝するか…(2)」 へ続く。
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