先日、我が家で菜食料理を満腹になるまで食べようという食事会が開かれました。
その食事会のために、近所の産直売り場やスーパーマーケットで買い出しをするのですが、その買い物の仕方はちょっとした居酒屋のママのようです。買い物かごにてんこ盛りになったお野菜たちを見て、夫婦ふたりで静かな感動を覚えていました。
スーパマーケットで買い物をする時、季節毎の産地の移り変わり、作柄・品種の違い、売り方の多様化・工夫などを見ているのですが、ひとつの農作物の向こう側にある物語を思ってわくわくする気持ちが抑えられません。
昔からその気持ちはありましたが、当時は生活のプレッシャーがそのわくわくを追い抜いてしまっていました…。
結婚当初、困窮していた僕はスーパーマーケットへの買い物も必要最小限度でした。
いかに安く買い物をするかは、ちょっとしたストレスでした。
なぜなら、現状の自分を見ることになるからです。
トマトは買いますが、チェリートマトなんて贅沢品だ!
ルッコラなんて飾りのようなものを買うなら、レタスがあればいい!
アスパラは重がないので、ブロッコリーを選択すべし!
ブロッコリーも国産よりも外国産を!
セロリなんてなくたって何とかなる!
筍なんて、炒めちゃうんだから中国産!
納豆も国産大豆使用の2パック128円なら、4パック100円のものを!
少し誇大して書いていますが、
そんな気持ちが心を占有する瞬間はありました。
そんな時に苦笑しながら思うのです。 「何、やってんだろう? 僕。」
本当の豊かさを
心の平安を通して感じる
ワークショップ
夫婦のセキララトークで
豊かさにつながるセンスをお伝えします。
6月17日(日)
10時半〜14時
聖ヶ丘セラピールーム
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スーパーマーケットでは、あるがままの自分を見させられます。
その等身大の自分と対面したくないわけです。
「ルッコラを本当は彩りに使いたいのに手が出ない自分」
「パプリカピーマンだって彩りで使いたいのにそれを許せない自分」
「国産のタケノコ水煮で料理したいのに自分を誤魔化してしまう自分」
他のお客さんの買い物かごをチラ見しては落ち込みました。
「ルッコラ、買うんだ…」
「国産のタケノコ水煮で筑前煮を作るんだ!?」
「嗚呼、アスパラを大束で買っていきますね。」
「わらで包んでいるような納豆を買われていますね。」
買い物をしながら、不愉快になって凹むという厄介な僕でした。
ちっちゃい自分、情けない自分、理想からかけ離れている自分の姿…、
どの自分も認めたくないし、その悔しさや悲しさを
うまくパートナーの寛子と共有できないでいました。
寛子と共有してしまったら、本当に情けないヤツになってしまいそうで…。
充分に情けないのですが、何かプライドが邪魔していたんでしょうね。
その自分を受け入れてみよう、許してみようと思うことで
学びや発見があるのですが、
「今の僕は、本当の僕じゃない!」
と否定して認めないようにしていたわけです。
「僕だって、チャンスに恵まれれば!
どこかに本当の僕がいるはず!」
と自分探しに出かけたかったです。
自分を探しに海外に行くなんていうイベントは僕にとっては都市伝説でした。
「チャンスに恵まれれば…、僕だって」 という思いが強く、
たぶん、おでこに「僕、チャンス待ちです」 というシールでも貼ってあったと思います。
チャンスが僕を幸せに導いてくれる という気持ち満点でした。
そんな僕にある機会がやってきました。
(「自分探しに、ちょっとスーパーマーケットまで2」へつづく)
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