スピリチュアルカウンセラー の潤治です。
ここ数日、同窓会のお知らせや相談のメールが届きます。
お盆を利用して、同窓会が開かれることも多いようですね。
今さら、中学生の頃の友人に会ってどうするんだ?とか、
過去に蓋をしたいと思う気持ちも以前はありましたが、
前回、同窓会に出てみて、
過去の思いを振り返る大切さに気づきました。
それは喜びも悲しみも悔しさややりきれない思いも。
そして、まだ終わっていなかった、過去に置いてきてしまっていた気持ちも…。
小学生の頃、ある女の子が僕にとても良くしてくれました。
学校を休んだら、お見舞いに来てくれたり、
図工の時間には24色ある色鉛筆を貸してくれたり、
学級会などで僕が発言すると、賛同してくれたり、
彼女はいつも僕の味方でした。
彼女の親切がとても嬉しい反面、
気恥ずかしさや周りの男友達にどう思われているのかが気になり出しました。
彼女はとても素直に(小学生の僕には眩しいくらい)、
ただ好意を持ってくれていました。
音楽の時間でペアになる時も、給食当番の時も、
彼女は相変わらず、その素直な表現は変わりませんでした。
人に嫌われるのも怖いと感じますが、
無条件に、そして直球勝負で好かれることも小学生の僕には怖いと感じました。
好きって言ってくれた人が、自分のことを愛していると言ってくれた人が、
去って行ってしまうかもしれない
という怖れが当時の僕にはありました。
そして、周りの目もあってか、だんだん彼女を疎ましく思うようになりました。
あきらかに彼女を避けるようになっていきました。
彼女にしたら、何のことだか解らずに避けられているのですから、
不快なはずのに、それでも変わらず、何度も声をかけてくれました。
そうしているうちに、彼女はいじめられるようになります。
同じクラスの女子からの無視と「出る杭は打たれる」状態でした。
ある日の放課後、数名の女子とその彼女が教室から出ていきました。
教室に残っている女子に様子を訊くと、
その彼女のことをシメるということでした。
その時、教室から出てその場に行って止めることもできたのに、
男友達に「あいつに気があるんだろう?!」 と言われたくないという
ちっぽけな理由のために、その彼女が教室に戻ってくるのを待ちました。
しばらくすると、彼女は泣きながら教室に戻ってきて、
そして、自分の席にあった鞄を持って帰っていきました。
それ以来、彼女と話すことはなく、時が経ち、クラス替えを迎えました。
中学生になっても、話す機会はなく、廊下ですれ違う時も、
目を合わせてくれることはありませんでした。
どうして、あの時…
もし、あの時…
その言葉が心を締め付ける瞬間があります。
リセットすることも、水に流すことも、
反省したからといって忘れることもできません。
その出来事は、僕の血肉になっています。
そして、今の僕の生きる姿勢になっています。
それは次回に続く
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