2013年05月20日

パートナーシップを揺るがすおむつ問題

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
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AQUA MIXT 潤治です。

おむつを替えられる男を目指して奮闘中です。
今までの生活の中に、“いきなり” そこに存在する新生児…。今までのペースや習慣がガラッと変わりそうな予感がしています。

何かをあきらめるのではなく、
融合して変化していくことを目指して歩もうと思っています。
常に第3の道があるということでしょうか。

結婚をする時も…、

「自分の時間が失くなるよ。」
「面倒が増えるよ、同じ部屋に他人がいるなんてストレスだよ。」
「自分勝手に決められないことが増えるよ。」


といろいろなアドバイスに心はぐりとぐら、いやグラグラしていました。


1度目の結婚では、上手に第3の道を選択できませんでした。
恋も2度目ならとチャレンジした今回の結婚では、
(本心からのコミュニケーションは時に激しく…w。)
第3の道を見つけるために、コミュニケーション能力を高められたような気がします。
それが現状の仕事にも役立っているわけなのですが…。

「自分の時間が失くなるよ。」
→ふたりの時間の中にあるひとりの時間を見つけることができ、

「面倒が増えるよ、同じ部屋に
他人がいるなんてストレスだよ。」

→面倒を含めて、相手を愛することで心が磨かれることを覚え、

「自分勝手に決められないことが増えるよ。」
→違う視点からの価値観のおかげで、新しい価値観が構築されていきました。

ここ数日、新生児のおしっことうんピーのアウトプット回数に驚いています。
おむつ替え童貞の僕は躊躇していました。

自分の遺伝子を持つ、愛くるしい彼女のお尻を見てしまうことは、
親とはいえ、越権行為ではないのか!?
おしっこやうんピーを見てしまったら、その後彼女が大人になった時に、
「パパ、あなたはわたしを辱めに至らし、軽度な虐待を強いたのですよ!」と
責められるのではないか!?

要は、人の排泄したものに触れる勇気がないだけです。

その点、女性はスゴイですね。

思い返せば、学生の頃、飲み会をしては泥酔し粗相をしていた僕を介護してくれて、
吐いたゲ○まで処理してくれるのは、女性でした。
男性が介護してくれて、汚物まで処理してくれるという経験は、
僕の記憶にありませんから…。

母性本能というか、誰かのために労を惜しまない性質
元来、具わっているのかもしれませんね。
「元始、 女性は太陽であった」 でしょうか。

我が家では、寛子がおむつ替えをしてくれていましたが、
(産褥入院中、お疲れさまでした。)
我が家に帰ってきて、ほどなくして、
僕も担当するようになりました。→当たり前…。

屁理屈を述べても、一蹴されてしまうし、
排泄をした我が娘を横目に寝たふりという逃避もできないわけです。
(数日は逃避…。)

どちらがおむつを替えるか?ではなく、
どうすればお互いが心地良くおむつ替えや責務をひとりで抱え込まないかを
根気強くコミュニケーションする必要があることに気づきます。

つい、テレビドラマで観たようなセリフを並べてしまいそうになる自分がいます。

「子育ては女性の仕事でしょ?」
「育児休暇(?)しているんだから、当然、おむつ替えるのは母親の義務だ!」
「僕は仕事で頑張っているんだから、おまえは母親としての義務を果たすんだ。」


とか、本心からそんなことを思っていないのに…、
テレビドラマの影響、テレビのコメンテーターの影響は大きいなと思います。

本心は、おむつを替えるなんてかっこ悪くない?何だか情けないのでは?
他人のおしっこやうんピーが怖いよぉ〜、泣きたい!エーン…、
という子供のような“えんがちょ”状態なだけである。
(えんがちょ で他人をいじめたカルマが今ここに?w)

【エンガチョ】:
不浄のものを防ぐために囃したてる子供による口遊びのひとつである。

“えんがちょ”状態から逃避し、さも正しいような大人の理論(屁理屈?)を駆使しても、
成長させてくれる機会を与えにやってきた我が家の天使ふたりは、
ビクともせずに、淡々と存在し続けるのであり、

僕をおむつ替えのできる男に押し上げてくれるのでした。

あなたはおむつを替えますか?それとも、世界を変えますか?
(あまり意味のない質問…)



posted by AQUA MIXT★水本 潤治 at 22:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | パートナーシップのために・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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