アラフォーママはこだわり育児?
AQUA MIXTの水本寛子です。
AQUA MIXTの水本寛子です。

電子レンジに続き、良く驚かれるのがベビーベッドもベビーカーも無いこと。
最初から、夫婦ともにこれらは要らないね、と候補にあがりませんでした。
理由は、夫婦ともに
「なんとなく、ベビーベッドもベビーカーも嫌」
だったから。
根拠を考えると、赤ちゃんの精神面・身体面の発育のためにもスキンシップを何よりも大切にしたいからと言えるでしょうか。
「なんとなく、ベビーベッドもベビーカーも嫌」
だったから。
根拠を考えると、赤ちゃんの精神面・身体面の発育のためにもスキンシップを何よりも大切にしたいからと言えるでしょうか。
今回はベビーベッドについて。(ベビーカーも重複する理由もありますが、次回に。)
日本は昔から、赤ちゃんと同じ布団で添い寝をする文化でした。
ベビーベッドが広まったのは、高度成長期の頃とのこと。

西洋文化の子育てが注目され、同時に「抱き癖を付けてはいけない」という考え方も日本にやってきた頃です。
最近は、抱き癖が付いて困るというのは気にしなくて良い、と言われるようになってきました。
既にその考え方は、赤ちゃんにいい影響がないということが分かってきたのです。
既にその考え方は、赤ちゃんにいい影響がないということが分かってきたのです。
母親の本能として、そして他の動物を見ていても、赤ちゃんにピッタリくっついていること。それは自然の摂理に叶っていると感じます。
それは赤ちゃんの感情の安定、自己肯定感を育てる、親子の絆にもつながるのではないでしょうか。
うちではベビーベッドを使わず、和室にベビー布団を私たちの布団の隣に敷いて、並んで川の字になっています。
(フローリングに布団は、冷えが問題になるそうです)
(フローリングに布団は、冷えが問題になるそうです)
それでも生後1ヶ月くらいから、真ん中で一緒に寝たいと主張することが多々ありました。
その時は出来る限り希望に応えて、寝返りで潰さないように夫婦で気をつけながら、真ん中に寝かせていました。
低月齢の頃は、昼夜問わず2,3時間で授乳でしたし、わざわざベッドに寝かせるのも面倒だと感じます。
こちらも産後で疲れていますし、私は腰も痛めてしまったので、添い寝しながら授乳出来るのは、楽でしたね。
自分の感覚は、それで良かったんだと思えた参考図書。
30代半ばの頃、知人に勧められて読んだ 三砂ちづるさんの本が、印象的でした。
戦後忘れられてしまった、女性の身体知や子育てのこと。
月経血をコントロールできることなどは、近年布ナプキンが流行りだしてから、また見直されるようになってきました。
親子の関係も、日本は古来からスキンシップの国だったという話。母子がぴったりくっついて育児をしていたその世代の親子の絆は深く、戦後は希薄になってしまったことなど、紹介されていました。
そして去年、育児を始めて、さらにやっぱりと思う言葉に出逢いました。
子育て四訓
一、乳児はしっかり肌を離すな
一、幼児は肌を離せ手を離すな
一、少年は手を離せ目を離すな
一、青年は目を離せ心を離すな
(参考サイト「日本時事評論」保管庫 )
一、乳児はしっかり肌を離すな
胎 児期には、文字通り母子はヘソの緒で繋がり、羊水の中で守られている。 それが、出生によって赤ちゃんは外界にさらされ、不安になる。 その心の安定を保つためにも、しっかりと肌と肌を触れ合わせることが大切だ。 サルの子育てで言えば「抱いてちょうだい」の時期である。 とりわけ、人間は、他のほ乳類と違って、生まれて一年間はほとんど受け身の状態である。 二足歩行ができるまでは、母親の胸は子宮の延長≠ナあり、しっかりと抱かれることによって、赤ちゃんは「守られている」「かわいがられている」と無意識 のうちに感じ信頼し安心するのである。 それが、愛情や信頼、情緒的安定、他人を思いやる心など、人間形成の基盤になる。 であればこそ、乳児期の親子の接触は、社会的にも支援・応援していく必要がある。 とりわけ、母乳育児の奨励支援は、親子のよりよき関係づくりには極めて重要と言える。
確かに乳児のうちは、とにかくママにくっついていると安心します。
触覚によっても、脳が発達するという話もあり、せっせとベビーマッサージもやっていましたね。
大切なスキンシップ、免疫や栄養面、などなど考えると、やはり母乳で育てることにこだわりました。
そして歩き出すまで、乳児の期間は約1年間。歩き始めると、確かに変化していきます。
一、幼児は肌を離せ手を離すな
幼児は乳離れをするが、一気に離すのではなく、常に親がそばにいることで、「心配しなくても良いよ」という安心感を与えることが大切だ。
サルの子育てで言えば「下ろしてちょうだい」の時期だ。
ちょっと周囲への関心やいろんなものに目が向いていき、自立させるための第一段階だ。
自立に目覚める幼児期は、完全な保護から社会に向いて一歩踏み出す時期といえる。
最近では、「子供の自立」と称して、実際には、親が子育てを放棄する口実に使われていることが多い。
子供を施設に預けっぱなしにするなど、自分で産んだ子供との絆を切りたがる傾向さえ見受けられる。
あるテレビのインタビューで、「子供へ愛着がわかない内に預けた方が良い」と零歳児保育に預ける理由を語っていた母親がいたが何をか言わんやである。
昨今、子育ては苦痛なもの、苦しみを伴うものという感覚を植え付けすぎ、安易に生きることが奨励されすぎてはいないだろうか。
本当の生きる喜びとは、親子の絆を大切にし、温かい家庭をつくり、その延長として健全な社会を形成していく、そうした家庭の社会的な意義についても力説すべきである。

一歳になると、歩き始め、乳児から幼児へと変わっていきます。
うちは1歳2ヶ月現在、まだ乳離れはしていませんが、はっきりと「抱っこしてほしい」「下に降ろしてほしい」という要求をするようになりました。こちらが抱っこしたくても、本人が望まない時も増えてきたのです。
乳児の頃はとにかくママがベッタリじゃないと安心しなかったのに、親がそばにいるだけで自由に歩き回って遊ぶように変化してきました。
十分にその段階で満たされるものがあれば、自然に自立へと向かうようですね。
どうせ、こんなにべったり抱っこさせてくれるのなんて、付きっきりでいないとダメなのも、ホンのわずかな期間。
その時間を、存分に楽しもうと思ったのです。
確かに低月齢の頃は、いつまでもおっぱいから離れずうとうとしながら幸せそうにくっついている姿を見て、いったい1日何時間、私は授乳体制のままでいるのだ ろう?何にもできない状態が、いつまで続くのだろうと感じることもありました。授乳クッションに、どれだけ救われただろう?
でもそれも、いつまでも続くわけないのです。
大変だったことも、数ヶ月後にはもう懐かしい笑い話になってしまう。
あんなに重宝したグッズも、3ヶ月程度でもう使わなくなってしまったり。(また別の用途で使う日がくるものもあるので、それらは保管して置くことになります)
だからこそ、成長著しい乳児〜幼児の頃は、今を存分に味わいながら子育てした方がいいんだなと、つくづく感じます。
アラフォー出産で身体もあちこちガタガタになる自覚症状も早く、あちこちに通院しながら、家族・親戚の協力を得ながら、仕事をしながらでも乳児の時の母子の濃密な時間を満喫させてもらえたと感じます。
そういう意味では、無理の利かない年齢で育児をして、素直に周りの協力を得ることが出来て、良かったのかもしれません。
若い頃なら、かなり一人で無理したような気がします。結果的に、母子の大切なスキンシップの時間を犠牲にしていたかも。
欧米式の育児では、ベビーベッドに加えて、赤ちゃんも自立のために早くから個室で寝かせるというのが一般的です。
でも実際には、そんなに早く「自立」を教える必要があるのでしょうか。
幼児のしつけなども早くから推奨している人もいるけれど…
特に3歳までの幼児は、自我の基盤となる自己肯定感を育てる大切な時期。
ダメ、や禁止する言葉など、否定的なものの言い方は、気を付けたほうが良いですね。
3歳までは、人格の基礎となる十分に親の愛情とスキンシップを受け取る期間と捉えています。親に対する愛情や信頼感を育てる時でもあるそうです。
そのあと、段階的に自然に自立できるもののようですよ。
しつけという名の虐待をされる問題もあります。
赤ちゃんだから言葉ではわからないだろうとか、まだ1,2歳だからという人もいますが、彼らはきちんとこちらの言動を理解しているのです。
大人の言動も驚くほどよく見て理解していますし、きちんとコミュニケーションをとっていく必要があると感じます。
そして、そのコミュニケーションは、胎児の時から始まり、乳児・幼児の時はしっかりスキンシップしながら、ですね。
以前の寛子のTrinityWebでの子育て連載「コミュニケーション編」もどうぞ!