2014年12月30日

インディゴチルドレンの憂鬱「失敗するために挑戦する」

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

AQUA MIXT 潤治です。
飛び込んでみよう
ブログ記事「インディゴチルドレンの憂鬱シリーズ」に対する反響をありがたく思います。
今年はインディゴエンジェルレッスンやインディゴチルドレンに関するメールリーディングなどを皆さんと共有する機会に恵まれました。

2015年度もインディゴエンジェルレッスンは開催する予定です。
告知を楽しみにお待ちいただければ幸いです。

さて、インディゴチャイルドである潤治の陥りがちな人生の罠を共有していきます。

「失敗するために挑戦する」というものです。

20代、社会人になり、家のローンも払いつつ、これが大人になるということだよねと自分を納得させながら過ごしていました。
しかし、もう一度、自分の夢を取り戻そうとそれまで勤めていた会社を辞めました。

スーパーマーケットの青果部は僕の夢じゃない!と言いながら、
今ではその知識や経験が夢の一部分になっていることに神さまの配剤を感じます。
そうと分かっていたら、もう少し当時を感謝しながら生きたのに…と思うのですが、
残念ながら、人生に大いなる力がもたらす法則性があると信頼してはいなかったのです。


今では、目の前にやってくる事象はとりあえず自分の狭い了見で判断せずに、
この事象は必要だとしたら、どうしたら活かせるのだろう?どういう意味を成すのだろう?と
自分に問うようにはなりました。

渦中にいると感情がうごめくので難しいこともありますが、
洞察力を駆使してその事象に取り組んでいます。
洞察力は内省によって磨かれていくように振り返って思います。

人生を信頼し続ける力は、自分のすべてを受け容れようとする姿勢に導かれます。

とカッコイイことを述べていますが、

当時、夢に向かって会社を辞めたものの不安や怖れで溺れ死にそうでした。

心理カウンセラーになるべく勉強を始め、整体や学校カウンセラーに従事していました。
ダブルワーク、トリプルワークとカタカナにすれば格好が良いように思えました。

不安や怖れを隠そうと、いかにも…
「俺、今、夢に向かって爆走中!」的なアピールを周りにしていました。

ややもすれば、

自分がミイラになりかかっているので、友人にミイラ取りにに来てぇ〜と。
「おまえは、夢、追いかけないの?」と熱く語っていました。
みんなで夢追いかければ、怖くないんじゃない?という心理構造でした。

この怖さのために、仲間を作ることもありました。
夢を追いかけている仲間、ですね。

僕が切磋琢磨していくような強い精神性を持っていたなら、
その仲間はとても良い関係になったのでしょうが、
僕がそのような気持ちですから、類は友を呼ぶ…だったのかもしれません。

よく、その仲間で夢に向かってトークをしていました。

「俺、アルマーニのスーツを着こなしたいなぁ。」
「わたし、海外に移住したい。」
「世界のどこにいても仕事ができる環境を整えたいなぁ。」
「俺、年収3,000万、総資産1億円の小金持ちになるぞ!」

思えば、動機に深みがない物欲トークでした。

ある友人が僕に訊ねてきました。

「水本は、何で心理カウンセラーになろうと勉強をしているの?」

周りに火の粉をまき散らすかのように情熱的に生きているフリをしていましたが、
心の中はもう燃えかすが微かにくすぶっているような状態でした。

あまりにも、偽りの情熱を未来に依存し、無理矢理燃やし続けたせいでしょう。
「俺、未来はこうなっている、はず!」という感じでしょうか。

現状の自分を認めることなく、見つめることなく、
未来にはこうなっているという安っぽい成功哲学を不純な動機で使っていたのでした。

ですから、破綻している財政を赤字国債を発行しまくることで
何とか体裁を整えている状態と言えました。

友人の直球の質問に僕は、こう答えました。

「俺はね、心理カウンセラーになって
いろいろな人の悩みや葛藤を癒すことができればと思っているんだ。
例え、そうならなかったとしても、将来、生まれてくる息子に、
『父さんはなぁ、夢に向かってチャレンジしたんだぞ!』
と言えるようでありたいんだ。」(→結果、娘だし)

ツッコミどころがたくさんある回答でした。

すでに挫折前提で夢を語っているところに、
僕のハートの弱さ、責任逃れ思考が盛りだくさんでした。

つまり、

「俺、目指してみたんだよね。」
「決してやらなかったわけではないのよ、
 ええ、やらなかったわけではないの。(オネエ調で)」
「とりあえず、それ風のことしてみたんだから、許してよ。」
「いいじゃーん、叶わなくたって。かっこうよかったでしょ?」

という僕の心の叫びが漏れ出しそうでした。

自分の内側から湧き起こってくる情熱もありますが、
他者からどう思われるかによって狂気のように盛り上がってくる情熱もあります。

人生の中心を「自分」にしてこなかった僕の陥ってしまった罠です。

親を心配させないために、自慢するために、好きな子にモテたいがために、
他人と比較して、世間体を気にして、周りにアピールするために、
マイノリティになることを怖れて、責任を背負わないように、

僕の判断基準はこれらのものでした。

情熱はとても静かなものだと気づくのは、人生の大きなダメージを負った時でした。





posted by AQUA MIXT★水本 潤治 at 07:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 潤治★体験談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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