いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
3月・4月とインディゴエンジェルレッスン1・2 が開催されました。
インディゴチルドレンの資質や世間とのギャップで陥りやすい罠なども含めて、今世を生きやすい世界に変えるというテーマを扱っていきました。
アースエンジェルやインディゴチルドレンは、スピリチュアルな言い方や概念です。
それを一般的な世間の価値観・常識に照らし合わせれば、社会不適合者と言われることもあるでしょうか。
学校や社会で上手に自分を表現できず、周りからの偏見や疎外感から、社会不適合だというレッテルを自らに貼るかもしれません。
それとも、反転して、プライドを守るために学校や社会を見下して、
無理矢理な選民意識を育むこともあるかもしれません。
自分こそが正しいということでしょうか。
そうでないと自分でつくりあげてしまった世間からの批判、中傷に立ち向かえないのかもしれません。
僕たちはとても弱い存在と自分を過小評価してしまうことがありますから。
そのどちらも「感情ゲーム」に呑み込まれ、本来、魂が望むことよりも、
そのゲームに興じ、人生を遅延させ、複雑にして、不幸な気が僕はします。
さて、インディゴチルドレンとはインディゴブルーのオーラを持つ人たちのことを言いますが、
その性格には戦士のような気丈さや反骨精神、真実を追求する姿勢、嘘を見破るなど、
そもそも世の中のルールを壊すために生まれてきたとされています。
この世に変化をもたらすためにやって来た世代ですので、
妙な焦燥感や挫折による絶望感、未達成感がその心に深く根付いていたりもします。
僕自身はとても自己評価の低い人間でした。
常に周りに「責められいてる」と感じることも少なくないようです。
人間関係を難しくしてしまう要因のひとつでしょうか。
自己評価の低さにもつながっているでしょう。
高い理想を持つがゆえの罠にはまっている状態とも言えます。
あるがままの現実を受け容れることで楽になれることが多いのですが、
あるがままの現実を受け容れることで楽になれることが多いのですが、
自らの殻に閉じこもることもあるかもしれません。
さて、インディゴチャイルドである潤治の陥りがちな人生の罠を共有していきます。
僕自身はとても自己評価の低い人間でした。
人間関係も対等に向かい合っているいうわけではなく、
何かを所有しているから、何か提供できるから、
相手に一時の満足感を与えることができるから、
代価を差し出せる自分がいるから、
人間関係が成り立っているのだと思っていました。
ですから、今思えば必要以上に相手のために
頑張るし、気遣うし、ややもすれば、こびるわけです。
僕自身は、その性格に慣れてしまっているので、
心の奥底で感じている「嫌悪」「悲しみ」「矛盾」は、
意識に上がってきませんでした。
しかし、それらの気持ちは僕の心のゆっくりと侵食し、蝕んでいくのでした。
人間関係に疲れて、ある日突然、関係を解消してしまうことも
若かりし頃は珍しくありませんでした。
心通わす瞬間と不義理を繰り返し、
自己矛盾に喘いでいたという感じでしょうか。
どこかに、人間関係は等価交換であるという意識があったのでしょう。
何も持たない者、もしくは負債を持っている者が人間関係を築くのは、
骨が折れる作業だったわけです。
相手にとってのメリットが僕になければ、
僕自身を愛すわけがないと思っていたのです。
ですから、分かりやすく利用されている状態のほうが居心地は良かったように思います。
恋愛をし、相手と心通わせながらも、
いつかこの人は離れていくだろうと
未来を思って不安になるのでした。
そういう痛みとして自分の中に傷が残るのであれば、
そうなる前に別れる、もしくは、それ以上、親密になることを拒む
という人間関係のパターンになっていました。
どこかで「自分は愛し愛される人間関係に相応しくない」
というレッテルを自分に深く刻んでいたのでしょう。
いきおい、無条件に愛し愛される世界が無いことを
僕の人生をかけて証明してやりたいと思ったのかもしれません。
恋愛になると…
人間関係の不義理は裏切りというさらに鋭利な刃物となり、相手を傷つけました。
無条件に愛されることなんて、この世には無いんだと
ようやく落ち着きをみせた時に2度目の結婚がやってきました。
残念ながら、この世界は「無条件に愛し愛されること」を僕に見せたかったのでしょうか。
そして、駄目押しの如く、新しい家族である娘の小葉が生まれてきました。